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岐阜県海津市の地での薩摩藩の木曽、長良、揖斐の治水をまつった治水神社 [地域紹介(岐阜県・海津市)]

木曽川と長良川と揖斐川とが合流する位置に治水神社があります。
旗が沢山立っています。〇に十の字が入っています。島津藩(鹿児島)の家紋です。
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下の写真は、海津地方の地図です。
「治水神社」は下の地図の左端、木曽川と揖斐川と長良川が出合う位置にあります。
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 江戸幕府の命により、宝暦3年(1753年)に、木曽川、長良川、揖斐川が合流する地で薩摩藩により治水工事が行われました。それまで、この地は、水害に悩まされてきました。

三川の治水前の地図(左の写真)と宝暦と明治と昭和の治水工事後の地図(右の写真)です。
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島津藩による治水工事は困難を極めました。多大な犠牲者も出しました。
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今年の正月も多くの方々が治水神社にお参りしました。ほりけんもお参りしました。
250年以上の歳月を経ても、この辺りの方々は、島津(現.鹿児島)へ足向けて寝ないと聞きます
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徳川御三家の1つであった名古屋の地にいますと、各地の大名によって成された東海地区での遺構を見かけます。福島正則による白鳥の貯木場もその1つです。

治水神社


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