岐阜市のうどん屋「田毎(たごと)」の牛鍋定食・美濃路定食・木曽路定食・飛騨路定食 [グルメ(岐阜県)]
岐阜市で人気のうどん屋があります。「田毎(たごと)」です。
昼食時、夕食時、いつもお客さんで一杯です。宿場風の内装です。
牛鍋定食(単品840円、定食1050円)です。すき焼き風です。牛肉がたっぷりです。
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一面が牛肉で覆われています。
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美濃路定食(995円)、飛騨路定食(1050円)です。
まごめ定食(1160円)、木曽路定食(1050円)です。
愛知県常滑窯業技術センター伝統工芸「常滑焼き」の茶香炉・急須・焼酎サーバー・かんばん [地域紹介(愛知県・常滑市)]
過日、常滑窯業技術センターに客員指導に出かけました。 そこに、伝統工芸である「常滑焼き」をもう一度世の中に送り出そうとする姿がありました。茶香炉や焼酎サーバーはいづれも常滑から出たものです。しかし、すぐに、模倣品が日本各地から出だすだけではなく、中国からも逆輸入されてきます。そんな中、センターの取り組みを見学させて頂きました。
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常滑焼きの看板です。「土(ど)かんばん」です。お酒も楽しめる料理店を想定しました。営業時間が夜間であることを考え、蟹の甲羅内部に電球を配置し、蟹が光の中に浮かび上がる構造です。・
魚料理店の他、民宿や釣具店向けの「土(ど)かんばん」です。常滑焼きらしさをかもし出す2寸径の黒い陶管。その上の軽量土で出来た魚(カサゴ)。文字は新とこ土を用いたタタラから切り抜いたもの。
試作した色々な焼き物がケースに収められていました。
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電気式茶香炉や万華鏡(下の写真の右上)もあります。
常滑焼きの急須です。
ほりけん、その中の1つを頂きました。
左の写真は急須の側面です。赤い模様が見えます。「藻がけ」です。海藻によって模様をつけました。
右の写真は取っ手です。この形をみるだけで、誰の作品か?が分かります。
「茶こし」です。陶芸家が1つ1つ穴をあけたものです。穴が不ぞろいです。
センターには幾つもの電気炉が置いてありました。その中で、非常に古い電気炉を見つけました。
この電気炉を眺めていると、多くの陶芸家の常滑焼きにかける気持ちが伝わってきます。
ほりけんが常滑窯業技術センターを出る頃には、周りは、すっかり暗くなっていました。
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ここ愛知県常滑市に、「常滑焼き」に熱き思いを馳せる人達がいることを感じ取りました。
岐阜県郡上市 「明宝ハム」が出す「パセリソーセージ」 [グルメ(岐阜県)]
ほりけんが中学生の頃、かれこれ45年くらい前のことでしょうか? ほりけんの弁当は、亡き祖母が作ってくれていました。毎日、ハムと卵焼きでした。他の人の弁当には色々なおかずが入っていて羨ましくってしかたなかった事を覚えています。
そのハムがどこのメーカーだったかは知りません。ただ、未だにその味を忘れることはありません。色々と食してみるのですが、「明宝ハム」の味がどうもその味です。
その「明宝ハム」は、岐阜県郡上市明宝にあります。東海地方ではお馴染みです。いつもはハムですが、今日は、最近、明宝ハムが出す「パセリソーセージ」を購入しました。
パセリの味が強いのかと思いきや、隠し味程度に利いていて、食欲をそそります。
「お袋の味」と言う言葉をよく耳にします。人の味覚は12歳までに出来上がるとも聞きます。
「明宝ハム」は、ほりけんには「祖母の味」です。祖母が亡くなってかれこれ40年が経ちます。
ただ、その祖母は、今もほりけんの味覚の中に生きています。
三重県四日市 万古焼きイシガキ産業の「タジン鍋」 [地域紹介(三重県・桑名市)]
三重県四日市市は、土鍋でお馴染みの「万古焼き」で知られています。
その四日市市の隣の桑名市のイシガキ産業から陶器のタジン鍋が出ています。
この鍋は、砂漠地方で使われている構造です。
空気の対流と共に食材から出る水蒸気を鍋の中で対流させる仕組みです。
それによって、食べ物から出てしまいがちな甘みを循環させて食べ物に戻すと言うものです。
色々な食材が、美味しく料理できるというものです。
ほりけん、未だに、タジン鍋は購入していません。この年末には、試してみたいと考えています。
最近、陶磁器産業が生き残りをかけ色々なアイデアーの商品を出しています。
陶磁器の本場である愛知県にあって、ほりけんも色々と購入しています。。
「イシガキ産業」の所在地:〒5110836 三重県桑名市大字江場568
手造りガーデニング 竹垣に絡む冬の寒椿と夏のナデシコ科りクニス [四季(冬・ほりけんの庭)]
愛知県稲沢市オリエンタルのビーフ入りデトルト「男のカレー」と「激辛カレー」 [グルメ(愛知県・全県)]
岐阜県海津市にある尾張徳川家ゆかりの行基寺に残る名古屋城築城の面影 [地域紹介(岐阜県・海津市)]
岐阜県に行基寺があります。駐車場から門に至るまで長い塀が続きます。
門です。徳川家の葵のご紋が入っています。行基寺と尾張徳川家との関係をうかがわせます。
1つの石が境内に置かれていました。「刻紋」がありました。慶長18年約400年前、名古屋城築城のおり、当山一帯より採石された川戸石の1つです。この刻紋石は、蜂須賀阿波可(蜂須賀小六の子)が切り出したものが、当時輸送中に落ちたか、何らかの理由により放棄されたものと考えられます。
門をくぐると両脇にお地蔵様が何体も置かれており、奥に本殿がひかえています。
冬枯れのころ、宿る魂を色にして添えてみました。
冬枯れの行基寺、全く人影はありませんでした。ただ、冬枯れにも魂は宿っていました。
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「行基寺」の所在地:岐阜県海津市南濃町上野河戸1024-1
岐阜県海津市「月見の森」から関が原・大垣市・岐阜市岐阜城・一宮市を一望 [地域紹介(岐阜県・海津市)]
岐阜県海津市の養老山脈にある「月見の森」から眺めることの出来る岐阜城です。
戦国時代、織田信長がその地に城を構えました。
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岐阜県海津市の養老山脈にある「月見の森」から関が原、大垣市、岐阜市、一宮市を望みます。
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「月見の森」への階段です。「月見の森」は養老山脈の小高い所にあります。
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はるか遠くに関が原を望みます。1600年、西軍と東軍の戦いが繰り広げられました。
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はるか遠くに大垣市を望みます。関が原の戦いに臨むに際し、徳川家康は大垣城に入りました。
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岐阜市と金華山の上にある岐阜城です。
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岐阜城です。戦国絵巻は、この金華山に城を構えた織田信長を中心に展開しました。
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はるか遠くに一宮市方面を望みます。
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養老山脈にある「月見の森」より、戦国絵巻が繰り広げられた濃尾平野を一望してみました。
つわものどのが夢の跡と言ったところでしょうか。
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岐阜県海津市「月見の森」から木曽川・長良川・揖斐川越しに眺める名古屋の大パノラマ [地域紹介(岐阜県・海津市)]
木曽川、長良川、揖斐川の3川が合流する近くの養老山脈の小高い所に「月見の森」があります。
その「月見の森(下の絵図の右上)」から眺める濃尾平野の月が美しいことで有名です。
岐阜県海津市の地での薩摩藩の木曽、長良、揖斐の治水をまつった治水神社 [地域紹介(岐阜県・海津市)]
木曽川と長良川と揖斐川とが合流する位置に治水神社があります。
旗が沢山立っています。〇に十の字が入っています。島津藩(鹿児島)の家紋です。
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下の写真は、海津地方の地図です。
「治水神社」は下の地図の左端、木曽川と揖斐川と長良川が出合う位置にあります。
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江戸幕府の命により、宝暦3年(1753年)に、木曽川、長良川、揖斐川が合流する地で薩摩藩により治水工事が行われました。それまで、この地は、水害に悩まされてきました。
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三川の治水前の地図(左の写真)と宝暦と明治と昭和の治水工事後の地図(右の写真)です。
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島津藩による治水工事は困難を極めました。多大な犠牲者も出しました。
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今年の正月も多くの方々が治水神社にお参りしました。ほりけんもお参りしました。
250年以上の歳月を経ても、この辺りの方々は、島津(現.鹿児島)へ足向けて寝ないと聞きます。
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徳川御三家の1つであった名古屋の地にいますと、各地の大名によって成された東海地区での遺構を見かけます。福島正則による白鳥の貯木場もその1つです。