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三重県四日市市采女 古事記にみる日本武尊(やまとたけるのみこと)の「杖衝き坂(つえつきざか)」 [地域紹介(三重県・四日市)]

ほりけんの自宅から3km東の三重県四日市市采女町に「杖衝き坂(つえつきざか)」があります。

太古の昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が杖を衝いて登ったと言われていますs-SANY0556.jpg

坂の中腹に「史跡杖衝坂」の標柱が建てられています。柱の裏側にこの坂の由来が刻まれています。
 『この坂は太古の昔、日本武尊が東征の帰路、疲れ果てられた身でこの地をお通りになり「我が足三重勾りなして疲れたり」と仰せられたので、この地を「三重」と言い、またお疲れのあまり腰の剣を杖についてこの坂を登られたので「杖つき坂」と言える。この事は古事記に載せられている。』 s-SANY0558.jpg
 ヤマトタケルには、「日本武尊」(日本書紀)と「倭建命」(古事記)の2つの漢字表示があります。第12代景行天皇の子として誕生し、幼名を小碓命(おうすのみこと)といい、兄の大碓命(おおうすのみこと)とは双子の兄弟とも言われています。生まれつき武勇にすぐれた尊は若くして九州の熊襲、出雲を平定し、続いて東国の蝦夷征討へと旅立ちます。各地で戦い勝利を続けましたが、伊吹山の戦いで傷つき、この坂を杖を衝いて登ったと言われています。
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後に、弘法大師が村民に水を与えたとされる井戸もそこに残っています。
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負傷し病にかかった日本武尊は、剣を杖にして衝いて坂を登り(後に、「杖衝坂(つえつきざか)」呼ばれる)、坂の上の井戸の水で血を封じたとされています(後に、「血塚社」と呼ばれる)。さらに、日本武尊は、石薬師を越え、その先で傘と剣を忘れました(後に、その地は「加佐登(かさど)」と呼ばれる)。そして、ついに、能褒野(のぼの)まで来て力尽きたとされています。
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後に、芭蕉がこの地を馬で登ろうとして落馬し、そのことを俳句にうたっています。
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芭蕉の句を記した江戸時代の石碑です。
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 ほりけん、この歳になって、古事記と91歳の父親を介してのこの地域に残る言い伝えを頼りに日本武尊の在りし日に思いを馳せています。

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