愛知県犬山の寂光院に似合う坂村真民の詩「念ずれば花ひらく」 [地域紹介(愛知県・犬山市)]
京都大原の寂光院は有名です。愛知県犬山市にも寂光院はあります。
そこに、詩人 坂村真民の「念ずれば花ひらく」の詩碑が立っています。
小さな種を蒔き、水をやり、肥料を施し、太陽の恵みに会うと、
苗はスクスク成長し、やがてはきれいな花を咲かせ、素晴らしい果実を実らせる。
「一つの願い事をいつも心にとどめ育てると、やがては成就の花が咲く」と言うことでしょう。
その寂光院の本堂には千手観音が置かれています。そこまでは、かなりの階段です。
階段の入り口に千体の観音様が置かれています。
それぞれに穏やかな顔をした千体の観音様です。
本堂まで大変な階段です。本堂まで登るのは断念です。すると、
「ご本堂にお参りせずして寂光院を語れません。千手観音様の千のお手引で必ず登れます」の看板
と言うことで、本堂を目指すことにしました。
途中で休憩していると、「一休みしたら、もうすぐ本堂です!!」の看板
でも、ここからが大変です。
やっと登り切りました。すると「よく お参りくださいました」の看板
千手観音が置かれている本堂です。その日は、千手観音を目にすることは出来ませんでした。
現在、詩の愛好者によって国内外に建てられる坂村真民の詩碑は740基。
ここ犬山の寂光院には、坂村真民の「念ずれば花ひらく」の詩が似合っていました。
東海地方の焼肉屋のルーツと忘れられない味 [地域紹介(岐阜県・養老町)]
ほりけん、焼き肉が大好物です。東海地方の焼肉について紹介してみたいと思います。
全国的に有名になった「焼肉屋さかい」の発祥の地は岐阜市です。
「焼肉あみやき亭」の発祥の地は春日井市です。
また、養老山脈のふもとには「養老焼肉街道」があります。
養老山脈沿いの「焼肉街道」には大きな焼肉屋が6軒、養老町にも6軒の店があります。
養老焼肉街道にある店の1つが「焼肉道場ローヤル」です。
焼肉道場ローヤルの牛肉の太巻きです。
生の牛肉が巻かれています。忘れられない味の1つです。
養老山脈を背に「やきにく藤太」です。夕方5時の開店前には長蛇の列ができます。
一方、こちらは、愛知県春日井市にある「焼肉あみやき亭」一号店の店内です。
生の牛肉のにぎり寿司です。
忘れられない味の1つです。
平成5年、焼肉屋さかい1号店は、岐阜県岐阜市に開店されました。
今は、(株)さかいとして、炭火焼肉屋さかい、大阪カルビ、焼肉酒楽ほまれ、
和牛焼肉坂井、とりバックス、ポテッちを傘下に置きます。
「焼肉屋さかい」の厚切り牛タンです。焼肉屋さかいで忘れられない味がこの牛タンです。
東海地方には、幾つかの焼肉の発祥の店があります。
そして、それぞれの焼肉屋に忘れられない味があります。
スペイン首都マドリッドの黄昏時の郷愁 [スペイン紀行(マドリッド)]
スペイン首都マドリッドの王宮に沿う、黄昏時のバイレン通りです。
マドリッドの夕暮れ時、王宮からアルムテナ大聖堂を通り、マヨール通りへと足を運びました。
マドリッドの夕焼けが、王宮を焦がします。
王宮からバイレン通りを南に歩くとアルムテナ大聖堂があります。
大聖堂を照らすように街灯がともりました。
ライトアップされたアルムテナ大聖堂を正面から望みます。
ラッシュアワー時のバイレン通りです。
マヨール通りに入ると直ぐに、ビージャ広場の教会が目に飛び込んできました。
街灯が、ほのかに マヨール通りを照らします。
その夜は、スペイン風のレストランに入りました。
店内です。歴史を感じさせる店内です。
焼きギョウザのようなものが出てきました。
中からは、フリームが出てきました。
グラタン風ですが色々な具が入っています。
昼間のマドリッドに、無敵艦隊の時代のスペインの栄光をみました。
黄昏時のマドリッドに、そのスペインの歴史が浮き彫りにされていました。
大学入試センター試験に心打たれる事もあります。 [キャンパス(冬・学舎と自然)]
1月15日(土)、16日(日)、全国で一斉に大学入試センター試験が行なわれました。
16日の朝方から降り出した雪があっと言う間に積もってきました。
試験場への道は、雪で一杯です。
センター試験の昼休み、例年は、屋外に見られる人影が今年は全く見られません。
白銀の大学入試センター試験になってしまいました。
16日午後6時、全ての試験が終りました。雪の中、受験生は、足早に帰路につきました。
ほりけんの部屋からセンター試験場であった学舎を見下ろします。
受験生が帰路について暫らくしてからの学舎です。
まさに「蛍の光、窓の雪、・・・」です。夜にも拘らず、灯がいらない位です。
昔から、入試は雪と決まったものでした。今年も、センター入試2日目が雪にたたられました。
そんな中、18歳の学生に混じって、何人もの30代、40代、50代の受験生をみかけます。
白銀の試験会場、色々な世代の赤く燃えたぎる勉学意欲に心を打たれています。
名古屋のテレビ塔と名古屋城のライトアップ [地域紹介(名古屋・栄)]
名古屋の久屋大通公園に名古屋のテレビ塔はあります。
今の時期、ライトアップが綺麗です。1954年(昭和29年)に竣工しました。高さ180mです。
そのテレビ塔を下から眺めてみました。
名古屋の夜に威光を放ちます。かつては、遠くからも見えました。
エレベータで高さ100mの展望台に上がります。
エレベータを出るとハートで出迎えてくれます。
久屋大通公園が眼下に広がります。
オアシス21、名古屋人の憩いの場です。
今では、高さ100mにあるテレビ塔の展望台から名古屋駅のビルを見上げるようになりました。
遠くに名古屋城のライトアップをの望むことが出来ます。
東京のスカイツリーがその高さを増してきました。
でも、名古屋人にとってのシンボルは、いつまで経ってもテレビ塔と名古屋城です。
スペインのマドリッドからザラゴザへの高速鉄道の旅 [スペイン紀行(ザラゴザ)]
燃料電池の学会は、スペインのザラゴザで開催されました。
マドリッドからザラゴザへの車窓からの眺めです。
ザラゴザはマドリッドから、高速鉄道で1時間半の距離にあります。
こうした眺めが車窓に展開されます。
途中、山があったり、町があったりします。
朝食が運ばれてきます。
ザラゴザの駅に到着しました。現代的な駅です。
高速鉄道の乗務員です。大変、お世話になりました。
多くの電車が足を休めています。
ザラゴザの駅を出ました。タクシーで学会会場に向かうことにしました。
学会は、政府関係の建物で行なわれました。
燃料電池の学会は夕方まで行なわれました。
再び、ザラゴザの駅に戻ってきました。
ザラゴザ駅の夕焼けです。夕焼けの美しさは、ザラゴザでも同じです。
全席座席指定です。ザラゴザ駅で座席指定を買います。学生の英語力、心配ではありますが。
ザラゴザ駅のプラットホームです。
人影も疎らです。
こうして、珍しくトラブルもなく、ザラゴザでの燃料電池の学会の1日は過ぎていきます。
50歳以上も年下の自分と一緒に、昭和村を歩いています。 [地域紹介(岐阜県・美濃加茂市)]
岐阜県美濃加茂市に日本昭和村があります。村長は、中村玉緒さんです。
ほりけん、小学生の頃、近所には萱葺きの家がありました。
家々の軒先には、渋柿や大根など、干されていました。
囲炉裏のある家もありました。
小学校に行くのが楽しみでした。校門を入ると二宮金次郎の像がありました。
学校から帰宅するなり、お小遣い10円をもらって、近所の駄菓子屋に走りました。
10円でお菓子を買うこともありました。
マーブルチョコレートも好きでした。
ぷっちん羊羹、針でついて、食べました。
お小遣いが多い日には、竹とんぼやプラスチックの刀や縄跳びを買いました。
夕方、いつも、紙芝居屋さんがやってきました。よく、水飴を買いました。
秋祭りには、弓の店が出ました。
矢が、真中にあたることはありませんでした。
子供のころは、よく熱を出しました。スクータに乗せられ病院に連れられていきました。
あれから、半世紀以上が過ぎ、50歳以上も年下の自分と一緒に、昭和村を歩いています。
愛知県犬山市の「四季桜」は、夏を除いて、ずっと花をつけます [地域紹介(愛知県・犬山市)]
愛知県犬山市の公園で「四季桜」を見つけました。
夏を除いて、春・秋・冬、少しずつ、ずっと花をつける桜です。
新学期の4月のような景色ですが、実は、真冬の光景です。
厳寒のこの時期、四季桜は綺麗に桜の花を咲かせます。
満開です。この写真、4月ならば、よく見かける普通の風景です。でも、真冬の写真なんです。
青空を背景に、一段と美しさを際立たせます。
枝垂桜のようでもあります。
ランドセルをかけた新1年生のはしゃいだ声が聞こえてきそうな桜の花ですが、
実は厳寒の愛知県犬山市の公園で、手を縮ませながらシャッターを押した「四季桜」です。
三重県亀山市:江戸時代、東海道関宿で年を越した旅人の郷愁が今に伝わる [地域紹介(三重県・亀山市)]
ほりけん自宅から30分のところに三重県亀山市関町があります。
関宿は、東海道五十三次の47番目の宿場町として栄えました。
ここには江戸時代後期から明治時代にかけて建てられた町屋が200棟以上も現存します。
鈴鹿山系の裾野にあります。
食堂などもあります。「亀山みそ焼きうどん」の看板を多く見かけます。
まだ、正月気分が残っています。年賀はがきの旗も残る郵便局です。
日の丸の国旗やしめ縄もまだ飾られています。
家々の玄関には門松も残っています。
鈴鹿おろしの風が雪を運んできます。
その隣のお寺にも雪がチラチラしてきました。
江戸時代にも、鈴鹿おろしの冷え込みが関宿の旅人を凍えさせたことでしょう。
雪の中、関宿を描くお年寄りの一団がいました。
江戸時代も、鈴鹿おろしに舞う雪の中、関宿の門松で正月を迎えた旅人がいたことでしょう。
雪の中、お年寄りの絵に、江戸時代、この地で年を越した旅人の郷愁が炙り出されていました。
フラメンコと地元で人気のレストランでマドリッドの夜を満喫しました [スペイン紀行(マドリッド)]
マドリッドの中心部の地下鉄ソル駅の近くには、幾つかのフラメンコの劇場があります。
その1つに入ることにしました。劇場の名前は「Ballet Flamenco de Madrid」です。
多くの人が次の開演を待っています。 チケットを買いました。
開演の10分前に入場させてくれました。ほりけん、ちょっと、興奮気味です。
幕が開き、フラメンコが始まりました。
フラメンコが終わりました。多くの方がフラメンコの土産を買っています。
まさに、こうした人形のような踊りでした。
フラメンコの後で、マドリッドの研究所の方から勧められた地元で人気のレストランに入りました。
店内に入ると多くのボトルが置かれていました。
さらに進むと多くの客が入っていました。
飲み物は、赤ワインにしました。
まだ、ぬくもりのあるパンが出てきました。
料理は、日替わりのセット・メニューです。スープです。
細いマカロニです。
メインディッシュです。見た目はよくないのですが、味はOKです。
最後にデザートです。結構な甘さです。
学会の後、マドリッドの夜を満喫しました。