琵琶湖の幸で商う「鮎屋の郷」 [グルメ(滋賀県)]
琵琶湖の湖畔に「鮎屋の里」があります。 一度、行ってみたかった所です。
やっと来ることができた 「鮎屋の郷」です。ホームページより
店内には琵琶湖で獲れる魚を中心にした商品が沢山並んでいます。
一番値がはるのが鮒寿司です。
一匹が、700円ではなく、7000円です。 買うのは諦めました。
沢山の蒲鉾が売られています。どれも500円です。 明太風味、ゆず、たこ焼風味などの蒲鉾です。
その他にも、かに風味、金目鯛、あゆなどの蒲鉾もあります。500円です。
鮎屋の佃煮(700円)がパックで売られています。
1パックを買ってみました。3種類の佃煮が入っています。
川魚の佃煮です。
川海老の佃煮です。甘みのがあります。
しじみのしぐれです。
お茶漬けで頂きました。
所在地:〒524-0201 滋賀県野洲市吉川4187番地
砂漠とインディアンの街、米国サンタフェ [米国紀行(サンタフェ)]
過日、米国ニューテキサス州のインディアンが多く住むサンタフェに出張しました。
砂漠の中にオアシスのように、ここだけに緑がある人口3万人の小さな町です。
町全体が赤い土壁風に造られている。アメリカ西部ならではの景色です。
路地の赤い土壁風のレストラン。
日差しはきついですが、空気は乾燥していて、比較的過ごしやすいの驚きました。
軒下にアメリカ・インディアンがいろいろな店を出していました。
少し覗いてみました。普通には見られないものばかりでした。
・
教会らしき建物が見えるが、やはり赤い土壁で出来ている。
ホテルも、赤い土壁で出来ています。・
・みやげ物店が立ち並ぶ。これも土壁でつくられています。
町の中央に公園があり、ここだけには、辛うじて緑があります。噴水が、常に働いている。
三重県伊賀市「伊賀の里モクモク手つくりファーム」で豚まん作り [地域紹介(三重県・伊賀市)]
三重県伊賀市に「伊賀の里モクモク手つくりファーム」があります。
広大な敷地の中に、農場、農学舎、家畜園やレストランがあります。
豚まんづくり教室もあります。
多くの方々が参加しています。まずは、小麦粉を練り、発酵させるところから始まります。
先生のお手本です。豚肉と野菜を混ぜ合わせます。
先生のお手本に沿って皆さん 豚肉と野菜を混ぜ合わせます。
さらに、先生のお手本が続きます。発酵させた生地を伸ばしていきます。
さらに薄くして、先ほど、野菜と混ぜ合わせた豚肉を包み込みます。
先生のお手本に見習って、薄く伸ばした生地に、野菜と混ぜ合わせた豚肉を包み込みます。
子供たちの服装は、料理の鉄人のようです。
沢山出来上がってきました。
最後、これを蒸して完成です。この間、1時間30分です。
名古屋テレビ塔が金色にライトアップされる時 [地域紹介(名古屋・中区)]
同級会に使った、京都市下京区木屋町の「もち料理きた村」 [グルメ(京都府)]
この師走、同級会に使った「もち料理きた村」は、京都の木屋町にありました。
江戸時代末期、坂本竜馬の大政奉還に向け、多くの同士が、ここ木屋町に集りました。
40年前の学生時代、坂本竜馬のような気持ちを持っていた、同級の集りに相応しい場所です。
500年の歴史をもつ建物です。
2階に案内されました。手摺りにも、その歴史が感じ取れます。
賀茂川の流れです。遠くに比叡山をのぞみます。
料理が運ばれてきました。「おもちゃ箱」とあります。
2段になっていて、それを開いてみると、おもちゃのような料理が出てきました。
たらこをスープ状にし、そこに、餅が沈んでいます。たらこの塩味が餅に合います。
魚の焼き物(左)と、魚の揚げ物(右)です。
やや餅っぽい茶漬けご飯(左)と、白玉ぜんざいです(右)。
同席頂きました恩師が文化勲章を受勲されました。
ワインで乾杯です。
坂本竜馬にあこがれた学生時代を過ごした京都。その木屋町で、40年ぶりの同級会。
自ずと盛り上がりました。
正月の初詣の準備が進む滋賀県「多賀大社」 [地域紹介(滋賀県)]
滋賀県の彦根城の近くに「多賀大社」があります。
多賀大社は、延寿・縁結び・厄除けで知られています。
クリスマスのシーズン、神社に足を向ける人は少ないようです。
多賀大社は、「縁結び」で知られています。恋みくじを引く3名の女性もいました。
初詣のおみくじを吊るす新しい縄も整いました。
多賀大社は、「延寿」でも知られています。境内には「寿命そば」の蕎麦屋もあります。
「多賀大社」の前の「笑門通り」です。新春を迎える準備もできました。
「笑門通り」には数軒の土産物の店があります。
新年を迎える準備も整いつつあります。来年の干支である辰の置物です。
金運(左)と「招運(右)」の犬も店頭に並びました。
店内では、新年を迎えるにあたって、若い女性が障子紙を張っていました。
滋賀県「多賀大社」、クリスマスシーズンですが、迎春の準備は進んでいました。
40年前に同級生から保管を託されたアルバムを開けてみました [キャンパス(学内外のイベント)]
京都市下京区木屋町にある「もち料理きた村」で、大学の卒業研究の同級会を開催しました。
40年ぶりの再会です。後列の左から、高井君、野村君、小谷君、西井君、高橋君、ほりけんです。
前列の左から、当時大学院生であった中山先輩と2人の恩師です。
ほりけんにとって、非常に大切なアルバムがあります。
大学院進学を決めたほりけんが、40年前、同級生から保管を託されたアルバムです。
当時は、パソコンもデジカメも無かった時代でした。
ただ、研究室で、電子顕微鏡を使う関係で、全員が写真を焼く技術を身に付けていました。
その技術で、卒業研究の合間に、同級生全員でアルバム作りに励みした。
こんな写真も残っていました。高橋君の22歳の誕生日パーティーです。
左から、野村君、ほりけん、高橋君、佐藤君、高井君です。
40年間の歳月を経て、その同級生の手作りのアルバムを開いてみることにしました。
高橋君です。今も髪は多いのですが、白くなってしまいました。
野村君です。今も、髪は黒くふさふさしています。体重が20kg増えました。
高井君です。40年前はカッコ良かったですが、髪の毛が後退しました。
西井君です。すっかり歳をとってしまいました。髪も残り少なくなりました。
西井君によれば、ほりけんの40年後の予測は下の写真でした。実は、自分の予測だったかも?
小谷君です。髪は後退しましたが、昔も今も生真面目です。
当時、大学院生だった中山先輩。歳をめされました。
ほりけんです。40年前の肌の張りも艶も無くなってしまいました。
40年間、それぞれが、それぞれの20代、30代、40代、50代を駆け抜けてきました。
大学4年生時代の友達とその思い出が、人生の中で、これ程までに
掛け買いの無いものであることを、還暦を過ぎた今、噛み締めています。
品川駅近くの「仙台・炭火・牛タン・圭助」 [グルメ(東京都)]
品川駅周辺の会議場で打合せが行なわれることが多くあります。
その時に決まって訪れるのが「牛タンの圭助」です。
夜は居酒屋です。入り口がガラス張りで広いのが特徴です。屋台感覚です。
メニューで、すぐに目がいくのが牛タン定食です。
牛タン定食1.5人前(1,580円)を注文しました。
分厚い牛タンが何枚も付いてきます。
スープです。
麦とろご飯です。
家庭用燃料電池「エネファーム」の将来の技術を支える会議です。
牛タンで元気を付けてのぞんでいます。
品川から出張の帰り、新幹線が一時間に亘って停止 [駅弁(品川駅)]
12月22日。品川駅の新幹線乗り場の駅弁の店です。
年末の慌しい中、出張応援宣言の駅弁があります。
定食の定番「生姜焼き」と「メンチカツ」が駅弁になったとあります。 買いました。
ところが、品川から小田原を過ぎた新幹線のぞみが「小田原駅」でいきなり停車。
西明石駅で線路に立ち入った人が新幹線と接触した模様です。
新幹線の中で缶詰状態です。
でも、乗客の皆さん落ちつたもので、駅弁を広げる人がいたり、熟睡を始める人もいたりです。
ほりけんも駅弁を広げて、夕食です。
年末の慌しい中、新幹線の事故に出くわすこともあります。
幼稚園児から80歳の方まで、3世代に亘る燃料電池の授業 [教育(生涯学習センター)]
名古屋市東区生涯学習センターからの依頼で燃料電池に関する講座を開きました。
多くの受講者は大学に集まり、燃料電池に関する講義と実際に燃料電池の研究現場の
見学をしました。大半の方々は70歳代です。
講義では全員が熱心に受講していました。その分ほりけんの講義も熱が入ります。
ほりけんの父親の年代とまではいきませんが、かなり歳をめされた方もおられます。
講義の後は研究センターの見学。実際に使っている燃料電池の研究装置や部品を紹介しました。
研究現場の見学の後は質問タイムです。
質疑応答の内容からもエネルギーへの関心の高さが伝わってきます。
ほりけんの燃料電池の受講者は、幼稚園児から80歳の方々まで3世代に亘っています。
勿論、高校生への燃料電池製作体験授業もありました。 若い学生の笑顔が素敵でした。
今年も、小学生への燃料電池製作体験授業もありました。日本の将来を背負って下さい。
小学生のお姉ちゃんへの授業を、いつの間にか、幼稚園児の妹さんが取り上げていました。
仲の良い姉妹、思わず微笑んでしました。
技術を通して、3世代もの方々と会話ができること、至上の喜びです。