22年ぶりに、サンフランシスコ・オークランド・ベイ橋を走ります。 [米国紀行(サンフランシスコ)]
25年前の1987年にさかのぼります。ほりけん、36歳でした。
米国東海岸のコネッチカット州の会社との燃料電池の共同開発が始まりました。
水力発電所、火力発電所、原子力発電所の次に来る、燃料電池発電所を夢見ていました。
こうした1000kWの電池を1000基並べた100万kWのプラントを目指していました。
それを原子力発電の次の発電所として全国に何十箇所もつくることを夢見ていました。
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日本側の開発リーダーとしてコネチカット州への駐在もありました。毎日が戦場でした。
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22年前の1990年9月4日、駐在から帰国途中、西海岸によりました。
サンフランシスコ空港からヨセミテ国立公園まで、1人でレンタカーを走らせました。
サンフランシスコに降り(左)、ヨセミテまでレンタカーを飛ばし、コテッジで一泊しました(右)。
明けて9月5日、レンタカーでヨセミテを見て回りました。
ヨセミテに秋の気配が忍びよっていました。
その1ケ月前、ヨセミテに起こった山火事は、一面を焼き尽くしていました。
22年前もカリフォリニア州には多くの風力発電が設置されていました。
サンフランシスコへの帰りのサンフランシスコ・オークランド・ベイ橋です。
車越しに、遠く、サンフランシスコのダウンタウンをのぞみました。
その後も、カリフォルニア州へは、何度となく足を踏み入れています。そして、
この3月下旬には、22年ぶりに、サンフランシスコ・オークランド・ベイ橋を走ります。
還暦を過ぎ、来るべき、新たな燃料電池の実用化への夢を頭に描いて。