あの三井家の家祖「三井高利」は松阪市に生まれました [地域紹介(三重県・津市・松阪市)]
天正16(1588)年、戦国時代の武将、蒲生氏郷により開かれた松阪の城下は、江戸時代になると商
人の町として栄えました。主に松阪木綿を扱う豪商は、江戸時代前期にいちはやく江戸・京・大阪に店を構えました。
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赤い欄干の橋(左)を渡ったところに、商人の古い町並み(右)がありました。
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「松阪商人の館」です。
その屈指の豪商・小津清左衛門の邸宅を資料館として公開しているものです。
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資料館の内部です。 千両箱や万両箱も展示されています。
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もう少し歩くと、「三井家」発祥地があります。
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三井家の家祖「三井高利」は、1622年、この地に生まれました。
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「松阪牛」で有名な松阪商人の町である三重県松阪市に、三井家発祥の地はあります。
松阪城の藤棚を見るために100kmを自転車で [地域紹介(三重県・津市・松阪市)]
三重県松阪市に大きな城跡があります。蒲生氏郷(がもううじさと)の城です。
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織田信長は、蒲生氏郷の才を見抜き、娘の冬姫と結婚させました。信長をして「只者ではない」と言わしめた人物です。織田信長、ついで羽柴秀吉に仕え、両雄の天下取りのために尽力しました。 38歳で92万石の大大名になりましたが、40歳という若さで亡くなりました。
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その松阪城の表門跡です。
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写真の右の石垣が太鼓櫓跡です。奥が中御門跡です。
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本丸跡から見下ろした石垣です。
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天守閣の石垣に沿ってモミジの新緑が始まっていました。
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白いドウダンツツジです。天守閣の石垣の麓で花を付けていました。
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石垣の近くに白い花が咲いていました。
「シャガ[アヤメ科アヤメ属、多年草]」
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真っ赤な花も咲いていました。
「シャクナゲ (石楠花)[ツツジ科ツツジ属]」
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75年前、ほりけんの父親が17歳のとき、この藤の花を観るために、
四日市から松阪城まで往復100kmを自転車でやってきました。
ほりけん、その話を父親から聞き、車を跳ばして松阪城にやって来ました。
1本の藤の木が大きく枝を張り巡らしています。 藤が花を咲かすには、まだ、早すぎました。
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歳をとって、遠出が出来なくなった父親が、昔話をするたびに、
車を走らせ、父親に土産話と写真を見せています。父親の弾む声を聞くために。
皆様方には、その写真をブログで紹介させて頂いております。
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松坂城跡の所在地:三重県松阪市殿町
三重県 津城 満開を過ぎて、尚一層、桜の美を堪能する [地域紹介(三重県・津市・松阪市)]
戦国武将「藤堂高虎」は、徳川政権の下、三重県の津に居城を構えました。
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その天守閣の石垣を背景にした桜です。満開を過ぎ、新緑と花の調和が美しい限りです。
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「藤堂高虎」当時の津城の平面図です。32万石でした。
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天守閣の石垣と桜の花とその新緑です。その3つが色を織り成します。
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石垣から張り出した桜です。目の覚めるような新緑とピンクの花のコントラストが綺麗です。
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お堀端で、染井吉野の桜の花が最後の日曜日を演出します。
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内堀が埋め立てられ、今は、そこに桜の木が植えられています。
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かつて何度となく戦が繰りひろげられたこの地を、花吹雪がピンク色に染めます。
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満開の桜のシーズが過ぎ、人影も疎らになった城跡で、桜の新緑に出会いました。
井村屋の肉まん [地域紹介(三重県・津市・松阪市)]
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ほりけん、あんまんではなく、肉まんをよく買います。
仕事が深夜に及ぶことが多く、職場の冷蔵庫にも入れています。夜食です。
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電子レンジで温めています。保存料を添加していないので、買ったら早めに食べます。
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横浜の中華街「萬珍楼」で買う肉まんに比べ、値段は1/5~1/20です。
「萬珍楼」のものより小さいですが、味は負けるものではありません。
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勿論、横浜中華街の中でも「萬珍楼」の「肉まん(右の写真のもので1個450円)」の味は確かです。
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「萬珍楼」の所在地:〒231-0023 神奈川県横浜市中区山下町153番地http://www.manchinro.com/store/manchinro_index.html
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