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名古屋駅新幹線の駅弁 「豚みそ焼き弁当」 [駅弁(名古屋駅)]

名古屋駅の新幹線待合室の駅弁売り場です。
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「うねーたこ涼味弁当(950円)」と「豚みそ焼き弁当(950円)」です。
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「豚みそ焼き弁当(950円)」を買いました。季節限定です。
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蓋を開けてみました。ご飯の上に、豚みそ焼きがたっぷり載っています。味噌味が最高です。
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豚肉の上にピーマンも載っています。
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フキのシコシコ感が良いですね。
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玉子焼きと山の幸です。
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名古屋駅の駅弁の四季を楽しんでいます。

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名古屋駅弁シリーズ 大ヒットの「織田信長膳」に続く「徳川家康膳」 [駅弁(名古屋駅)]

名古屋駅新幹線の駅弁売り場です。「三英傑武将弁当」とあります。
三英傑武将とは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康であり、彼らに関係の弁当です。
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信長膳のヒットを受け、家康膳(800円)も出回るようなりました。
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その家康膳を、名古屋から東京への出張時に買いました。
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新幹線の中で、蓋を開けてみました。
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家康は、生涯、食事は麦飯(左の写真)と焼き味噌(右の写真)で通しました。
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家康に因んだ数々の「おかず」です。
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「とり肉とうずらの卵」です。鷹狩りで得た獲物として、
家康は、鶴や鶉(うずら)、白鳥、鴨などのとり肉を食べたと言います。
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「鯛の天婦羅」です。家康は天婦羅が大好物で、天婦羅の食べすぎで
命を落としたと言う俗説があります。その時の天婦羅が鯛の天婦羅でした。
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「本能寺の変」の後、家康は命からがら伊賀越えを行い岡崎に帰還しました。その際、
摂津(大阪)・佃村の漁民から道中食として小魚煮をもらった家康は、後に江戸に佃島を造り、
漁民たちを厚遇しました。その小魚煮が「佃煮」と言う名前で全国に広がりました。
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ごぼうは室町中期以降、生産量も消費も増えました。一般に、酢ごぼう(左)として食しました。
「茄子のお浸し」です(右の写真)。 茄子は家康の大好物でした。
初夢で見ると縁起が良いと言われる「一富士二鷹三茄子」の諺の由縁でもあります。
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蓮根の天婦羅(左の写真)と大根の煮物(右の写真)です。
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いんげんの胡麻和え(左の写真)、ゆず大根(右の写真)です。
家康が生まれた三河地域は、稲作と野菜を主体として発展しました。
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ほりけん、駅弁を食しながら、信長、秀吉、家康の食生活を思い巡らしています。

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明智光秀の「安土御献立」が名古屋駅弁に登場 [駅弁(名古屋駅)]

JR名古屋駅新幹線乗り場の駅弁売り場です。「やった!」 幻の駅弁「信長膳」を見つけました。
いつも、ほりけんが新幹線名古屋駅の駅弁売り場に着くと、信長膳だけは売り切れています。
最後の1個が残っているじゃありませんか?
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最後の1個です。迷わず買いました。1200円です。「安い!」
「信長が本能寺の変」前に食した最後の晩餐が1200円で食べれるのです。
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 1582年(天正10年)5月、織田信長が安土城で武田氏討伐に功を上げた徳川家康を接待した時のメニュー、それが「安土御献立」です。これを、復元可能な料理を選んで「続群書類従」という資料に基づき、日本史上、最も有名な「最期の晩餐」を再現したお弁当が「信長膳」です。
 「安土御献立」を振舞うべく、家康の饗宴役を命じられたのが、明智光秀です。全国から山海の珍味を集め接待に努めました。準備の不手際から信長の怒りを買い、途中で任を解かれ、これが数日後に「本能寺の変」を起こす契機になったとも言われています。

その「信長膳」です。「安土御献立」を資料に基づいて再現したものです。 s-SANY0514.jpg

左の写真は、焼き味噌おにぎりです。握り飯に味噌を塗り、軽く焼いたものです。

は菜汁(ほうれん草のおひたし)です。当時、青菜やみょうがを入れたうすめ味噌の汁でした。 s-SANY0516.jpgs-SANY0533.jpg

左の写真は、椎茸の煮しめ、里芋の煮物、ふきの煮物です。

右の写真は小串です。鳥の肉を小串に刺して焼いたもの。当時は、魚やキジの肉でした。 s-SANY0535.jpgs-SANY0540.jpg

左の写真は、花に昆布です。昆布を柔らかく煮て、花形に切ったものです。

右の写真は、酢ごぼうです。ごぼうは室町中期以降に生産量が増加しました。

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左の写真は、鱒の焼き物です。当時は、ますは近江の特産品でした。

右の写真は、あえ混ぜです。細長く切ったするめ、昆布、人参を会えたもの。

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うちまる(宇治丸)です。丸のままのうなぎを、醤油と酒を合わせた調味料を焼き付けたもの。s-SANY0538.jpg

歴爺(れきじい)ほりけん、旧跡の探索のみならず、ひいきの戦国武将の食生活にも興味をもっています。


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