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スウェーデン紀行(カールスクーガ) ブログトップ

まさかスウェーデンの奥地でマクドナルドの店と桜の木に巡り合うとは? [スウェーデン紀行(カールスクーガ)]

ストックホルムから西に250km、カールスクーガを訪問しました。
アルフレッド・ノーベルがダイオナマイトの研究を行なっていた地です。
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カールスクーガは人口数万人の小さな町です。小さな湖に接していました。
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時は5月上旬、まだ、冬枯れの林が夕陽を受けてオレンジ色に染まります。
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その湖の夕焼けです。
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ほりけん、町の中心にあるホテルに泊まりました。
町の中央にはかつて地下軍事工場が置かれた小高い丘がありました。
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その小高い丘の上には、第二次大戦ころの大砲が置かれていました。
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その丘から町の中心部を眺めてみました。
カールスクーガ、スウェーデンの内陸部にある小さな町です。
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ほりけん、その丘の近くの赤いレンガのホテルに泊まりました。
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近くのショッピングセンターです。人影はありませんでした。
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嬉しいことに、ホテルの近くにはマクドナルドがありました。
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それにも益して嬉しかったことには、ショッピングセンターの広場に桜の木が植わっていました。s-DSC02447-2.JPG
まさか、スウェーデンの奥地に、マクドナルドの店があり、桜の木が植わっているとは、
この地に足を踏み入れるまで、思いもしませんでした。

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ノーベル賞のアルフレッド・ノーベルの研究の原点が知りたくって [スウェーデン紀行(カールスクーガ)]

ストックホルムから250kmのカールスクーガの燃料電池関連の会社を訪問しました。
ここを訪問したもう1つの目的は、アルフレッド・ノーベルがダイナマイトの研究を行なっていたのが、
ここカールス・クーガであり、ノーベルと言う人間の原点を見たかったからです。
カールスクーガでノーベルがダイナマイトの研究を行なっていた地に、彼の銅像が立っています。
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カールスクーガは、ストックホルムから250km西方にある人口数万の小さな町です。
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アルフレッド・ノーベルは、この地でダイナマイトの研究を行なっていました。
戦車や、弾丸で打ち抜いた分厚い鉄板が今も残っています。
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広大な場所で研究は行なわれていました。
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カールスクーガに残る溶鉱炉です。400年の歴史を残しています。
スウェ-デンでは良好な鉄鉱石が産出され、
ここカールスクーガでは早くから大量の鉄が手に入りました。
それがカールスクーガにスウェーデンの軍事工場が置かれていた背景と考えられます。
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かつて、カールスクーガには巨大な地下軍事工場がありました。
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アルフレッド・ノーベルは、昔、スウェーデンの軍事工場の拠点の1つがあったカールスクーガで
まさに武器としてのダイナマイトの研究を行なっていたのだ。と、改めて認識することが出来ました。
ほりけんも研究者の端くれとして、アルフレッド・ノーベルが歩んだ道を調べてみました。

アルフレッド・ノーベルの人物像
 1855年、ノーベル本人はにニトログリセリンのことを知る。しかし、この爆薬は狙って爆発させることが難しいという欠点があったので起爆装置を開発。
 1865年、ニトログリセリンの製造業を開始する。衝撃に対する危険性を減らす方法を模索中、ニトロの運搬中に使用していたクッション用としての珪藻土とニトロを混同させ粘土状にしたものが爆発威力を損なうことなく有効であることがわかり、1866年ダイナマイトを発明する。
 1871年、珪藻土を活用しより安全となった爆薬をダイナマイト(ギリシア語で「力」)と名づけ生産を開始。50カ国で特許を得て100近い工場を持ち、一躍世界の富豪の仲間入りをする。
 1876年には結婚相手を見つけようと考え、女性秘書を募集する広告を5ヶ国語で出し、5ヶ国語で応募してきたベルタ・キンスキーという女性を候補とする。しかしベルタには既にアートゥル・フォン・ズットナーという婚約者がおり、ノーベルの元を去ってフォン・ズットナーと結婚した。この2人の関係はノーベルの一方的なものに終わったが、キンスキーが「武器をすてよ」などを著し平和主義者だったことが、のちのノーベル平和賞設に関連していると考えられている。そして1905年に女性初のノーベル平和賞を受賞。
 また、1876年、当時20歳のゾフィー・ヘスと出会い、交流が始まる。ゾフィーには218通の手紙を残した。しかし1891年に、ゾフィーが他の男の子供を宿していることが分かり2人の関係は急速に冷えた。ノーベルの死後、ゾフィーはこれらの手紙をノーベル財団に高額で買い取らせることに成功したためすべてが残っており、またノーベル財団により公開もされている。
 1888年、兄ルードヴィが死去。この時、ノーベルと取り違えて死亡記事を載せた新聞があり、見出しには「死の商人、、死す」とあった。さらに本文には「アルフレド・ノーベル博士: 可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物が昨日、死亡した」と書かれており、このことからノーベルは死後の評価を気にするようになったという。

 1894年、武器製造工場を買い取り、武器製造業に進出する。

 1896年12月7日、サンレもモにて脳溢血で倒れる。


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鉄道で、ストックホルムからノーベルがダイナマイトを研究したカールス・クーガへ [スウェーデン紀行(カールスクーガ)]

ストックホルムの中央駅です。 ほりけん1人旅です。
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これから、ストックホルムから250km離れたカールス・クーガKarskogaに向かいます
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高速電車です。1時間半くらいで到着です。
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カールス・クーガKarskogaの最寄のDegerfors駅です。
スウェ-デンの新幹線なのでしょうが、降りたのは、ほりけんを入れて3名です。
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「Mr Hori」の紙をもった男性がプラットホームに立っていました。
降りたお客が3名、勿論、他に東洋人などいません。それにしては、大げさな出迎えでした。
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新幹線の止まる駅ですが、建物らしい建物などありません。
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駅の周りを見渡しましたが、なんとも、寂しい限りです。
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カールス・クーガにある会社を訪問しました。カールス・クーガは人口数万足らずの小さな町です。
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あのノーベル賞のノーベルは、このカールス・クーガでダイナマイトの研究をしていました。


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ノーベルの発明の地にたどり着いた [スウェーデン紀行(カールスクーガ)]

スウェーデンにある、ノーベル賞で有名なノーベルがダイナマイトの研究を行っていた地をたずねた。それは、スウェーデンの首都ストックホルムとノルウェーの首都オスロとの中間にあった。またもや、ほりけんの男独り旅である。

 ほりけんは独り寂しくストックホルムからオスロ行きの鉄道に乗った。

ヨーロッパの新幹線ICEである。

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日本の新幹線のグリーン車以上である。日本の新幹線の座席が横に5つあるのに対して、ヨーロパのICEの座席は横に3つである。実に広い。座席の前には大きなテーブルまであった。感動した。
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最寄の駅に降りた。ほとんど人がいない駅であった。人口の少ないスウェーデンではこれくらいの駅でも新幹線が止まるほどの駅なのである。勿論、人影もなければ、タクシーもない。レストランもない。店の1つもない。 不安にかられた。

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 今、自分はノーベルが過ごした町を小高い丘からながめている。小さな綺麗な町だ。ただ、この丘の下は、かつては、地下の軍事工場があった。

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 今、自分はノーベルが過ごした湖に来ている。ノーベルもここから湖を眺めたであろう。

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5百年前から数十年前まで稼動していた製鉄所が残されていた。スウェーデンは鉄鉱石の生産で有名である。それが、この地を、スウェーデンの軍事工場地帯に仕上げ、ノーベルをダイナマイトの研究へと導いたのであろう。

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そして、自分は、今、まさに、ノーベルがダイナマイトの開発を行っていた地に立っている。今、自分は、確実に感動している。古い戦車が何気なく放り出されている。戦車の大砲で撃ちぬかれた厚い鉄板が何気なく放り出されている。確かに、ノーベルはこの地でダイナマイトの研究をしていたのだ。

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