猛暑が続く名古屋の中心にあって、名前に反して冷気が漂う熱田神宮です [地域紹介(名古屋・熱田区)]
猛暑が続く名古屋にあって、涼しさを味わうことが出来るのが熱田神宮です。
その正面の鳥居さんです。 鳥居さんを抜けて本殿までの長い参道にうっそうと木が生い茂ります。
冷気さえ漂ってきます。
西行法師も、「これ程涼しい此の宮を誰が熱田神宮と名付けたのか?」と言われたとか。
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手を洗う水も冷たいほどです。
本殿です。緑に包まれています。
本殿近くをゆったりと歩く巫女さんからも名古屋の灼熱は嘘のようです。
連日35℃を超える猛暑の名古屋の中心にあって、名前は熱いのですが冷気が漂う熱田神宮です。
それぞれの高校や大学には、一生、卒業生の記憶に残る建物があります [キャンパス(学内外のイベント)]
どこの大学にも象徴的な建物があります。卒業後も、卒業生の記憶に残る建物です。
ほりけんの大学にも、「ゴビーホール」なる円錐型のホールがあます。大学の象徴的な存在です。
晴天の春、「ゴビーホール」は、笑顔で学生が企画した学園祭を見つめます。
夏、厳しい西陽を受けても、何を言うことも無く、耐えています。
秋、学生も疎らになったをキャンパスと「ゴビーホール」を、月の光が照らします。
冬、雪の中からも、「ゴビーホール」からは、ほのかな温もりが伝わって来ます。
そのホールに、自動車会社、電機会社から燃料電池の開発リーダを招いて講演会も開きました。
300名以上の一般市民や高校生が集まりました。
先日、ほりけん、その「ゴビーホール」で、1年生の学生を対象に燃料電池の講義をしました。
大ホールでの講義、ややもすれば、居眠りをする学生もいます。
100名以上の学生を90分に亘って居眠りをさせない講義、結構、難しいものがあります。
大学だけでなく、高校にも、それぞれの学校を象徴する建物があります。
その建物は、長く、卒業後も卒業生の心に残ります。
そうした建物で行う講演や講義には、ほりけん、一段と力が入ってしまいます。
最近になって父親が戦争の話しをするようになりました [日常の生活]
日曜の夜は、決まって、父親と夕食です。今夜はうなぎ丼です。
ほりけんの父親は93歳です。太平洋戦争は中国に出兵していました。
その父親に、昔は、多くの戦友から年賀状が届きました。
でも、数年前の1枚を最後に、その年賀状も届かなくなりました。
何年か前まで、一切、太平洋戦争の話を口にしなかっら父親が、最近、話すようになりました。
悲惨な戦争の話しを避けてきた父親でしたが、町内でも最長老になり、戦争の経験者がいなくなり、
自らがあえて戦争の話しすることで、戦争の悲惨さ愚かさを伝えようと考えを改めたようです。
うなぎ丼の夕食後、父親がいくつもの世間話の最後に、戦争の話しをしだしました。
ほりけんの生まれ育った三重県四日市の田舎は、100軒ほどの町です。
町の中央に神社があります。
その神社の両サイドに大きな碑が立っています。
裏には、町内の戦没者の名が刻まれています。100軒程の町ですが、30数名程の名あります。
その基礎の石には、太平洋戦争に参戦した従軍者60数名の名が刻まれています。
100軒の小さな町の100名ほどに召集令状が来て、3名に1名が亡くなりました。
もう、そのことを語ることのできる人間は、町内では、ほりけんの父親くらいになってしまいました。
最近は、町内会から、戦争の経験の講演の依頼も受けるようになりました。
町内の集会場で、色々な世代の町民に、戦争の悲惨さ、愚かさを伝えています。
父親の話しは、夕食後の6時から始まり、気がついたら9時になっていました。
燃料電池研究センターの元研究員の結婚式のプレゼント [卒業生や研究員OB]
2週間前に、ほりけんの燃料電池研究センターの元研究員が結婚をしました。
ほりけんとは30年近い付き合いでした。
20数年間、川崎の企業で燃料電池の研究開発を行ってきたほりけんが、
9年前に大学に赴任してからも、新郎は、名古屋でほりけんの仕事をサポートしてくれました。
披露宴の場で、2人のスライドが紹介されました。
岐阜の長良川の鵜飼いもありました。ほりけんだけではなく、彼にも楽しい思い出だったようです。
スライドには、研究室のバーベキューも含まれていました。
披露宴の後、新郎新婦から、ハンカチに包まれた小さな、プレゼントを頂きました。
新郎新婦からのプレゼントです。
開けてみると十六穀米が入っていました。
十六種類の穀物が入っているようです。
早速、炊いてみました。
色とりどりの十六穀のご飯が炊き上がりました。
おむすびにして昼食時に食べたりもしました。
雑穀米は今流行りです。栄養豊富でダイエットにいいそうです。
小さな包みのプレゼントでしたが、新郎新婦からの気持ちは大きなものでした。
木工に興じる子供たちに、日本の発展の原点をみました [キャンパス(学内外のイベント)]
三重県鈴鹿市にあるスーパーマーケットの2階フロアから木工に親しむ親子を見付けました。
子供達が何かを組み立てているようです。
1階フロアに下りてみました。「三重の木」利用推進協議会とあります。
近付いてみました。幼児達が木工に戯れています。
多くの親子がいます。見ている親も楽しそうです。
思わず微笑んでしまいます。
結構、長時間に亘って、熱心に組み立てています。
最近、小・中・高校生がパソコン・ゲームやインターネットや携帯電話に興じ、
日本の高度成長を支えてきた物造りに接する機会がなくなってきました。
ほりけん、夏休みには小学生や中学生に、燃料電池を実際に作ってもらう教室を開きます。
楽しそうに、小学生が燃料電池を組み立てます。
出来あがった燃料電池に水素を流して、発電をします。おじいちゃんも参加です。
ほりけん、時には、愛知県の高校を回り、多くの学生の前で講演を行ったりもします。
工学や物造りの面白さを伝えたいと考えています。
ふと立ち寄ったスーパーで木工に興じる子供たちを見つけました。本当に楽しそうでした。
その子供たちに、日本を支えてきた物造りの原点を見ました。
こうした子供の気持ちを大切にし、伸ばしてあげることが、ほりけん世代の使命と考えています。
ほりけん自宅周りの田んぼで、サギが羽を休めています [四季(夏・花・木・田んぼ・野原)]
三重県四日市、ほりけんの自宅周りには多くの水田があります。5月連休には、
四日市にある ほりけん自宅近くを流れる内部川の堤防に菜の花が咲いていました。
毎年、5月連休、ほりけんの自宅近くの水田では田植えが行われます。
5月、その水田でカラスが餌を探す光景をよく見かけました。
6月も下旬に入り、
紫陽花の花が咲き誇るころ、水田が青々としてきます。
6月下旬、5月連休に田植えをした苗も育ってきました。
そこに多くのサギが飛来するようになりました。
①雄のサギが雌のサギに求愛です。 雌を追わえます。
②しつこ過ぎるのでしょう。雌のサギが嫌っているようです。
③振られたようです。雌のサギが立ち去ってしまいました。雄のサギ、ガックリしています。
④それでも、まだ、追わえていきます。
昨年ですが、9月、田んぼに秋の気配が立ち始めました。
9月には、ほりけん自宅周りの田んぼの刈り入れが終わります。
昨年の9月の光景です。刈り入れの終わった田んぼの切り株です。
この田んぼの中の小道が、ほりけんの小学、中学、高校の通学通路でした。
30年以上に亘って四日市を離れ、9年前に横浜からUターンを果たしました。
再び、その田んぼの四季に見入りながら、40年近く昔の学生時代に思いを馳せています。
燃料電池研究センターの新人研修会を開催しました [燃料電池]
燃料電池研究センターは多くの発電装置があり、多くのパイプやチューブを使用しています。
そパイプなどは実験に使用する水素や窒素、二酸化炭素、酸素など色々な気体が流れています。
何本もの配管が使われてます。
T字型のもあればチューブもあります。
燃料電池研究センターに今年もたくさんの研究補助員が入ってきました。
例年新人向けに基本的な継手の取り付け方法や締め方などを、
4年生と一緒に勉強をします。
配管関連専門の業者の指導により、一人一人ステンレスチューブの締め付け方を学びます。
学部生です。再取り付け方法を学んでいます。
学部生に締め付けをしてもらったチューブに圧力をかけ、チューブの破損の実験をしてみます。
器具に装着しチューブ内に圧力を加えていきます。
圧力をかけたチューブはパンパンに膨らんでいます。
手に持っているのが元の太さのチューブです。
この段階で締め付け部分が外れ上に吹っ飛ぶ事があるようです。危険ですね。
講師として招いた業者さんが扱うチューブやボルトはそういう危険がないように
精密に作られています。
さらに圧力をかけます。チューブ本体に亀裂が入りました。
一つでもボルトが少しでも緩んでいたり、締め忘れは大きな事故に繋がります。
ボルト締め付けの他に高温蒸気や劇薬品によるやけど、 その他のけがも
大変な事故になります。
小さな事故でもなくすように、定期的に「安全講習会」を開催し、徹底的に指導しています。
蒲郡市の形原温泉「あじさいの里」に見る紫陽花の色々 [地域紹介(愛知県・蒲郡市)]
愛知県蒲郡市の形原温泉にある「あじさいの里」で「あじさい祭り」が開催されています。
「あじさいの里」の中に入ると、一面、紫陽花です。紫陽花の中で、人は米粒です。
人は紫陽花の中に飲み込まれます。
花に集まるミツバチのように、この時期、多くの方々が紫陽花を見るために集まってきます。
「花より団子」でしょうか?花と団子があると幸せなのは、ほりけんだけでもなさそうです。
東南アジアの方々でしょうか?日本の美しさと一緒に、紫陽花の美しさも持ち帰って下さい。
その中で、何種類もあるアジサイの花の紹介をしていました。
青色が印象的な「ババリア(左)」と、ピンクの花が額縁の「ハワイアン・ストロベリー(右)」です。
「ハワイアンアプル(左)」と純白の「ホワイトシュガー(右)」です。
ピンクが際立つ「ピンクダイヤ(左)」と紫が綺麗な「シンフォニー(右)」です。
思わず見入ってしまう「レデュユミ」です。
食べてしまいたくなる「ピーチ姫(左)」と花火のような「花火リンカ(右)」です。
名前の通り「八重カシワバアジサイ(左)」と「コサージュ(右)」です
青紫色が綺麗な「ロマンス青」です。
梅雨の晴れ間、ほりけんにとって研究の合間、気がついたら「紫陽花祭り」に来ていました。
ほりけん、60歳にして、親孝行ができる93歳の父親が健在です。これに勝る幸せはありません。 [日常の生活]
ほりけんの毎日曜日の日課は、四日市の自宅の庭の草引きです。
アジサイの花も咲く頃、雑草は毎週大変な勢いで成長します。
60歳の息子が草を引き始めると、何故か、その傍らで93歳の親父も草引きを始めます。
折角の柿の実が落ちたりします。
家の周りの掃除も大変です。 掃除にも、93歳の父親が60歳の息子に指示を出します。
昼間に、草引きや畑仕事を終え、夕方には、昔風のタイルばりの風呂で汗を流します。
今夜の夕食は、息子が作る四日市名物のトンテキです。準備は、昼からかかります。
昼に、豚肉に包丁を入れ、スライスしたニンニクを載せ、そこにトンテキ・ソースをかけます。
サランラップで包み、冷蔵庫で味を肉の中までしみ込ませます。 父親とほりけんの2人分です。
夕刻、風呂から上がってから、それをフラパンで焼きます。
生涯百姓を貫こうとする93歳の親父と60歳の息子の二人だけで夕食です。
思い起こせば、1年前、90歳近くまで自分で運転していたコンバインドを売却しました。
百姓として、92歳で現役引退か?とほりけんの胸は痛みました。
でも、皆さん、安心して下さい。トラクターだけは残しました。まだ、乗るつもりです。
ほりけん、60歳にして、親孝行ができる93歳の父親が健在です。
人生において、親孝行できる親が健在なこと、これに勝る幸せはありません。
香川県金刀比羅宮に向かう参道にある甘味処 [地域紹介(四国地方)]
新名神高速道路の土山SAに「ちゃんぽん亭総本家」が店を出しています。
夏のこの時期でもお客さんでいっぱいです。
「豚肉ラーメン」の大盛りを注文しました。
コクのある豚骨味です。そこに、何故か、豚肉が合います。
胡椒をタップリかけた温泉玉子が豚骨味を助けています。
細く切った白ネギがおいしいです。
新名神高速道路の土山SAの「ちゃんぽん亭総本家」、ほりけんのお好みの店です。